責めるとは?
悪を憎んで、人を憎まず。
理想はそうだと思います。
でも、なかなか上手く行かない事も沢山あります。
ただ、多くの人は、時には自問自答し自らを律し、正しいと思う生き方をしているのではないでしょうか?
だからこそ、悪を憎んで人を憎まずの考えが、自分だって間違える可能性があるかもしれないからこそ素晴らしい考えと思えるのではないでしょうか?
間違えをしても、根底にある正しく生きたいと思う人に対しては、再度生きるチャンスを与えてもいいのではないかと思います。
そもそも人を責めるとはどういうことでしょうか?
責めるとは、非難し苦しめる、いじめる、痛めつける、悩ませる等のその人に対してマイナスのエネルギーを浴びせる行為なのではないでしょうか。
その行為は、正義という名の元に自分を正当化し、ただただ悪に対して攻撃をする破壊活動なのではないでしょうか。
あなたのその人を責めるという行為は誰の為ですか?
もし、間違いをした人が自分の大切な人だったらどうしますか?
あなたは自分の子供間違えを責めますか?ただただ苦しめるような事をしますか?
もし、自分の大切な人が間違いをしたら、その人の未来のことを思って、また同じ間違いをしないように叱るのではないでしょうか?
あなたは誰を叱りますか?あなたは誰の幸せを願っていますか?
週刊誌やテレビが誰かを責める理由
あなたは、週刊誌やテレビが誰かを責める理由を考えた事がありますか?
明らかに、なにか利害関係があるからではないでしょうか?
もし、その人の事を心から、その人の未来を願うならば、もっと違うやり方があるのではないでしょうか?
写真を撮って、あとから集団で責める行為に正義はないでしょう。
なにか悪いことをしている人がいたら、その悪いことをしようとする写真を取るのではなく、まずは注意するのが正しい行いなのではないでしょうか?
罪を犯す事を未然に防がず、罰金という形の事後刑罰が正当化された理由
今は、このようなIT技術が普及した時代。昔よりも、罪を犯すことを事前に防ぐことが少しは容易になった時代。
細かくは触れないが、このような間違いを犯した後に罰金を徴収する制度が許されているからこそ、罪を後から責めるという行為が正当化されている原因の一つだと思っています。
IT技術が普及する前は、事後の罰金制度が効率的な運用だったと思いますし、仕方ないと思います。
一昔前の世界が、制度と運用とバランスがこのような、事後の罰を許容する世界だっただけです。
いつの時代も過渡期
IT技術が普及し、あらたな罪が増えています。
きっと、それらの罪も今後もう少ししたら事前に予防することができる時代になるでしょう。
でも、その仕組を作るのもまた人。
私達が新たな技術を手にすると、古い罪と新しい罪が混在する時代となるでしょう。
だからこそ私達は、暖かい気持ちでその罪と向き合い、未来に託すために人に対しては暖かさを持って接する事がだいじなのではないでしょうか?
IT技術の恩恵を受けて、誰かを責める人達は今一度自分たちの行っている事を見直してみてはどうでしょうか?
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